薬局M&Aにおける「のれん代」の考え方とは?適正価格の算出法
薬局のM&A(事業承継)をご検討中の経営者様から、「自分の薬局の価値は、一体いくらになるのだろうか?」というご相談をいただきます。特に、M&Aの価格交渉において最も重要かつ曖昧になりがちなのが「のれん代(営業権)」です。(※取引実務では、買収価格から時価純資産(識別可能な無形資産を含む)を差し引いた残余として捉える“営業権(のれん相当)”が用いられます。会計上はのれんとして認識し、J-GAAPでは耐用年数(上限20年)で定額償却、税務上は事業譲渡等で生じたのれんを「資産調整勘定」として5年償却といった取扱いの違いがありますが、細かい話ですので、以下の記事では、平たく、のれん代としてお話しします。)
帳簿上の数字だけでは決して見えてこない、薬局が持つ「真の価値」。これを適正に評価できなければ、安く買い叩かれてしまったり、逆に高値で掴んでしまったりと、後悔の残るM&Aになりかねません。
この記事では、薬局M&Aにおける「のれん代」の基本的な考え方から、後悔しないために不可欠な「適正価格を見極めるための調査(デューデリジェンス)」について、私独自の視点を交えながら解説します。
そもそも「のれん代」とは何か?
「のれん代」とは、企業の純資産(資産から負債を引いた額)に、目には見えない無形の価値を上乗せしたものです。この「無形の価値」こそが、企業の「超過収益力」、つまり将来的に平均以上の利益を生み出す力の源泉となります。
薬局における「のれん代」の源泉は、例えば以下のようなものが挙げられます。
- 門前の医療機関との強固な信頼関係
- 地域の患者様からの「かかりつけ薬局」としての評価
- 経験豊富で優秀な薬剤師やスタッフの存在
- 効率的な店舗オペレーションのノウハウ
- 地域におけるブランドイメージや立地の優位性
これらは貸借対照表には記載されませんが、薬局の収益力を支える重要な資産であり、M&Aの際には価格に反映されるべきものです。
一般的な「のれん代」の算出方法
実務上、「のれん代」は以下の計算式で大まかに算出されることが一般的です。ごく簡単に言えば、
のれん代=年間の実質的な営業利益×判定年数(通常3~5年)※EBITDAと表現されることもあります。
そして、最終的な譲渡価格は、この「のれん代」に「時価純資産額」を加えて算出されます。
譲渡価格の目安=時価純資産額+のれん代
しかし、この計算式だけで価格を決めるのは極めて危険です。条文だけ読んでいては事案の全体像を把握できないのと同様に、計算式に出てくる「営業利益」という数字が、将来にわたって本当に維持されるのかを見極めなければ、全く意味がありません。
【プロの視点】適正価格を見極めるデューデリジェンスの勘所
ここからが本質です。表面的な数字の裏に隠されたリスクや、将来の収益性を左右する要因を徹底的に洗い出す調査、すなわち「デューデリジェンス」が、適正な「のれん代」を算定する上での生命線となります。例えば、警察の捜査が、物証と関係者の証言を積み重ねて真相に迫るように、M&Aのデューデリジェンスもまた、多角的な視点からの地道な調査が不可欠です。
私が特に重視するのは、以下の3つのポイントです。
1. 門前クリニックとの「真の関係性」
処方箋の大部分を依存する門前クリニックの状況は、薬局の生命線です。帳簿からは決して読み取れない、以下の点を徹底的に調査する必要があります。
- 院長の年齢と後継者の有無: 高齢の院長が引退し、クリニックが閉院すれば、薬局の売上は激減しかねません。
- クリニックの経営状況と評判: 経営難や代替わりによる方針転換のリスクはないか。
- 将来的な移転・閉院リスク: 都市開発や院長の個人的な事情など、移転リスクの兆候はないか。
これらの情報は、単なるヒアリングだけでは引き出せません。周辺への聞き込みや多角的な情報収集といった、調査能力が必要な領域です。
2. 薬剤師・スタッフという「人的資産」の精査
優秀な人材は薬局の宝ですが、同時にM&Aにおける大きなリスクにもなり得ます。
- キーパーソンの特定と退職リスク: 買収後にキーパーソンが退職してしまえば、店舗運営に支障をきたし、患者様も離れてしまいます。
- 従業員の人間関係と労働環境: スタッフ間のトラブルや、帳簿に表れない未払残業代などの「隠れ債務」はないか。
- 従業員の承継への同意: M&A後も従業員が安心して働き続けられるかを確認し、円滑な引き継ぎの道筋を立てることが不可欠です。
3. 地域における評判と潜在的リスクの洗い出し
地域からの評判や、過去のトラブルも「のれん代」を左右します。
- 地域住民や患者からの評判: 「あの薬局は対応が丁寧だ」という良い評判は、無形の資産です。
- 過去の行政指導や訴訟リスク: 厚生局からの指導履歴や、患者様との過去のトラブルなどを看過してはなりません。
これらの「見えないリスク」を事前に把握し、価格交渉に反映させることで、初めて適正な「のれん代」が算出できるのです。
まとめ:後悔のないM&Aは、信頼できる伴走者と共に
薬局のM&Aは、単なる店舗の売買ではありません。経営者様が長年築き上げてきた想い、従業員の生活、そして地域の患者様の健康を、次の世代へと引き継ぐための重要な決断です。
計算式だけを鵜呑みにせず、徹底したデューデリジェンスによって薬局の「真の価値」を見極めること。そして、双方にとって納得のいく形で契約をまとめ、その後の円滑な統合まで見届けること。この当たり前のようで、おざなりになりがちな、真の伴走型のサポートを行うパートナーを見つけることが何より大事です。